大判例

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大阪地方裁判所 昭和35年(わ)22号 判決 1962年5月23日

被告人 中辻武一 外二名

主文

被告人らはいずれも無罪。

理由

第一、本件公訴事実の要旨

被告人らはいずれも学生であるが、他の学生一〇数名とともに、昭和三四年一一月一三日午後二時二〇分頃、大阪市天王寺区南河堀町三番地の大央アイス株式会社販売所前路上において、大阪府天王寺警察署勤務の巡査小川博(当三〇年)に対し、同巡査が大阪学芸大学池田分校の学生峠越昌子(当一九年)と交際を始めたことについて弁明を求めたいので同大学天王寺分校まで同行されたい旨強く要請し、同巡査がこれを拒否したにもかかわらず、実力に訴えて連行すべき気勢を示すに至つたので、同巡査において難を避けて後退しながら同販売所内に入るや、ここに被告人らは他の学生数名と共同して同巡査の胸倉を掴み、両腕を取り、肩を押す等の暴行を加えて同巡査を同販売所前路上に引きずり出した上、同巡査の両腕を取り、ズボンの両足首附近を掴み、後より押す等して同巡査を約一〇〇米離れた同市天王寺区南河堀町四三番地所在の前記学芸大学天王寺分校内に引きずり込み、以て数人共同して同巡査に暴行を加えたものである。

第二、本件に関する冒頭陳述の要旨(省略)

第三、当裁判所の判断

よつて以下本件証拠に基いて判断する。

A公訴事実の存否

一  本件発生までの経緯

(一)  いわゆる平野文書事件

1、昭和三三年暮、大阪府平野警察署警備係長警部補辻井敬において、いわゆる警備警察に関する文書若干を遺失したところ、この文書(以下平野文書という。)が他人に拾得されてその内容が公になり、その当時新聞紙上等国会においてすら論議を呼んだことは公知のところである。

2、他方それとは別に、それまであるいはそれ以後においてもいわゆる警備警察活動における情報収集をめぐつてその任に当る警察官の態度、方法が問題とされ、あるいは大学自治の観点から、あるいは憲法の保障する基本的人権との関連性という見地から各種の論議がなされたほか具体的にも右情報収集行為に関して若干の刑事被告事件の発生をみ、これについて裁判所が判断を示したことも一再にとどまらない。すなわち東京大学に関するいわゆるポポロ事件、愛知大学に関するいわゆる愛大事件及び警察官による情報収集活動に関するものではないが、第三次興安丸による中国よりの帰国者大会に関するいわゆる舞鶴事件等がそれである。

3、ところで前記平野文書は報告書綴四冊、作業カード七枚及びノート二冊より成つており、いずれも警察官が公務上若しくは職務に関して作成したものであるが、これについては大阪地方裁判所においてさきに証拠保全の決定をし、その内容を検証しており、右検証調書の記載及び証人辻井敬の当公廷における供述によつて窺知しうるところによれば、大阪府警察本部管下の平野警察署警備係北村係員らは全逓信労働組合東住吉支部員をいわゆる「対象」として警備情報の収集活動をしたほか、大阪学芸大学(以下学大と略称する)平野分校における自治会活動の把握を目的として同校学生鍋谷英治を「対象」に選定し、昭和三三年九月一五日に予定されている大教組の勤評反対斗争の統一行動に対する学大平野分校自治会の態度を確認するため、同月一四日右鍋谷英治と面接すべく午後七時頃同人自宅を訪問したが同人は「岸和田祭」で友人と外出していて面接することができず、また同月二五日に予定されている府学連の統一行動に対する学大平野分校の動向を聞くため同月二四日午後七時五〇分同人を訪問したところ在宅していたので面接し、同月二五日の統一行動に対する状況を聞いたところ、同人は学生運動のことは祭以来一度しか学校に行つていないので詳しいことは判らない。なお学大は正直なところ教授陣も貧弱であるし、社会的な評価の低い学校であるから最低の単位を取つて卒業する積りである旨語り、自治会新聞については、入校以来一度しか貰つていない、配布当日学校へ行かない者は貰えない訳で、毎月受取る者は殆んどいない、と答え、なお同月二五日の状況については学校に行つていないため全然知らなかつた、等のことを知るとともに、同月二六日午後二時三〇分から同日午後四時三分にわたり、平野警察署宿直室において、大阪府警察本部の「ひらやす」「いのうえ」両係員及び平野警察署の「つじい」「さとう」「くらさき」「きたむら」各係員が検討会を開いた結果「一、対象(前記鍋谷英治)は月に一、二度しか学校に行つていないがそのようなことでは作業対象としての価値に疑いが持たれる。それだからといつて無理に登校さすこともむずかしい。二、経済的に困つていることは窺われるが、自治会新聞の代金五〇〇円も受けとらんし、特別の協力関係を持つことを警戒している点もあり、登校しないため自発的協力も非常に限定されるので、作業対象として今後作業を継続する価値がないと判断される。三、対象との協力関係は現状維持で機会をみて面接することとし、新たに管内に居住する学生の中から対象を選定して作業を行う。」旨の結論を得、「翌月の着眼」として管内に居住する学生に対して作業条件の抽出を計る、ことを定め、一方ではいずれも学大平野分校の学生である、新居明美、被告人中辻武一、西原洵、杉本祐子、赤松茂樹、田中篤子、中川望等について「所属団体地位、別名、生年月日、本籍、現住所、前住所、前及び現住所に居住するに至つた原因、続柄、職業、職歴(就職に至つた原因、続柄)、学歴(入学の経過)、犯罪経歴、斗争経歴、過去及び現在の動き(居住、学校)、家族関係(構成、就職先との関係、収入、本名との親密度等)、本人の収入生計状況、親族関係(職業、氏名、年令、続柄等本名との親密度、警察関係との親疎等)、交友関係(職業、氏名、年令、続柄等本名との親密度、警察関係との親疎等)、性癖、素行、趣味、嗜好、娯楽、特技」等を調査の対象として作業カード」を作成の上その殆んどの点を調査記入していたのみならず、新居明美については、昭和三三年一〇月一七日尾行し、被告人中辻武一については同年一一月五日尾行をし、杉本祐子については同年一〇月二一日自宅附近に張込んだ上尾行し、同年一二月五日には中泉係員において協力者としての大阪市東住吉区平野流町八六四の米穀商乾一夫について身元調査をし北村係員が「管内在住大学生の調査について」と題して中四課程二回生菅忠弘ほか三二名について「住所、出身校」等の調査をしていることが明らかである。しかして右の如き平野警察署警備係の活動を大学側において是認していたものとみるべき証拠は存しない。

4、なお前記いわゆるポポロ事件の判決も警察官が情報収集のため東京大学の学生や教職員の身元、思想傾向及び背後関係等を調査し、学内諸団体の集会状況、団体役員の動行等も不断に査察監視していたものと認定している。

5、そうして被告人ら三名(被告人石原の本件当時の身分は後記のとおりであり、被告人中辻は学大学生で学大天王寺分校自治会書記長、大阪府学連の副委員長、被告人井上は大阪市立大学生で、同学理工学部自治会委員長、大阪府学連委員長であつた)は、右のような警察官による大学関係事項についての情報収集活動を夙に新聞紙上や公刊物等により知り、これらは警察官が系統的に学生自治会のスパイをしていることを意味し大学の自治に対する重大な侵害行為であるとし、

また被告人中辻は前記作業カードに記載されたような調査を警察官がさしたる理由もなく行つたとし、これを私生活の平和と個人の尊厳に対する甚だしい侵害あるいは侮辱であると感じ、いずれもとうていゆるし難い行為であると確信していた。

二、大阪府天王寺警察署勤務小川博巡査の峠越昌子に対す接触

(この点の詳細は後述することとしここにおいてはその概略を述べるにとどめる)。

1、小川博巡査(以下小川巡査という)は、昭和四年二月二五日に生れ、昭和二四年八月一日巡査に任ぜられ、同三一年六月一日より大阪府天王寺警察署警備係において公安関係の職務を担当していたが、昭和三四年八月八日頃、何らの予告なく当時峠越昌子の下宿していた大阪府池田市建石町二〇二番地西川允野方に右峠越昌子を訪問した(同女は昭和一六年三月三一日生れ、小川巡査の出身校である広島県立世羅高等学校の後輩で、その頃学大学生であるとともに学大池田分校自治会財政部長の職にあつた)。

2、しかし峠越昌子は夏期休暇であるのと、広島市において同月六日に行われた原水爆禁止世界大会に参加するため郷里広島県に帰郷中で下宿先にはいなかつたので、小川巡査は右西川允野と雑談して辞去したが、同巡査は何ら身分を明らかにしなかつたので、右西川允野は何かわりきれない気持を抱かないでもなかつたけれども、同巡査が峠越昌子の郷里の事情をいろいろ話したため親類か何かであろうと思つていた。

3、同年一一月二日学大では大学祭が行われたが、当日小川巡査は学大天王寺分校を訪れ右峠越昌子に面会を求め、同女とタクシーで大阪市天王寺区上本町六丁目にある近鉄会館地下喫茶室に至り、同女のためにすしやコーヒー、蜜豆を注文して馳走した上、前記世羅高等学校の近況や同校教諭について雑談するとともに学大自治会の情況を話題としたほか更に映画の入場券をあげようとか同月七日には自宅へ泊りがけで遊びに来るようにとか、連絡には交番の電話を利用すればよいとか話し、また会つて欲しい旨告げた後バス代名下に現金一〇〇円を同女に手渡してわかれた。

4、峠越昌子は右七日の誘いについては電話で断つたところ、小川巡査は更に「アルバイトのこともあるから、一一日に池田へ行つて下宿を訪ねる」と申入れたので同女は一一日に小川巡査が訪ねてくるのではないかと思案し、

同月九日頃学友に小川巡査との接触について打あけて相談したが、同巡査は右一一日同女を訪問しなかつた。

5、以上のような峠越昌子と小川巡査との接触を聞知した被告人石原(同被告人は学大学生で昭和三四年六月末から学大池田分校自治会書記長に就任し、その頃大阪府学連の執行委員になつた)ほか学大池田分校自治会の幹部は、前記平野文書事件のことも考えあわせて、小川巡査の行為は峠越昌子を「対象」とすることによつて同自治会についての情報収集を企図しているものと判断し、同月一〇日学大池田分校自治会執行委員会にはかつた上事態を究明する必要があるとし、同時に学大天王寺、平野各分校にも連絡して抗議態勢をたてようと考えていた。そしてまず峠越昌子の語るところを整理して「私達は真実を伝える」と題するガリ版刷のパンフレツト約八〇〇枚を作成し、内六〇〇枚は同分校校門で学生に配布したほか、残りは天王寺、平野両分校において学生に配布したので学大学生は一般に小川巡査の問題について深い関心を有していた。

6、昭和三四年一一月一三日は学大天王寺分校講堂において午後から三分校合同による学生集会が行われ、寮問題と就職問題とが議題に上提されることになつていたが、池田分校自治会としては合同執行委員会の議を経て前記小川巡査と峠越昌子との接触の問題を取り上げて緊急提案し討議の上集会終了後天王寺警察署に事態の究明と抗議をかねて赴く予定であつた。同日午後二時頃右講堂にはすでに天王寺分校学生、平野分校学生が着席し、池田分校学生の到着を待つていたが、池田分校学生を乗せたバスは同日午後一時頃池田分校を出発し、午後二時過頃右天王寺分校正門より北へ約二〇米の地点に到着北向に停車し、池田分校男女学生約四〇名は同車内より下車して天王寺分校内へ入つていつたが、被告人石原は車内に忘れものがないかを点検するため、また峠越昌子はバスの車掌に料金を支払うため下車が遅れ、共にあとから下車し、峠越昌子が被告人石原よりやや先になつて学大天王寺分校正門(以下単に学大正門という)に向つて歩いた。

7、同日小川巡査は午後二時頃同僚の佐藤義八郎巡査(以下佐藤巡査という)と自衛隊幹部候補生仮合格者に対する身元調査のため共に私服で学大天王寺分校構内学生課へやつてきていたが、係員の学生課山田係長不在のため目的を達することができなかつたので帰署すべく学大正門附近に至り同正門を出たところで前記峠越昌子が下車するのを目撃して歩み寄り、同女に挨拶したが、同女も挨拶を返しただけでその場を正門内に去ろうとした。小川巡査は同女と並んで正門に向つて歩きながら二、三米の間話しかけたが(特に司法警察職員の実況見分調書第四項及び証人佐藤義八郎の供述参照)同女は何もいわなかつたので、正門に入る少し手前から引返し、佐藤巡査の後を追つた。

二、本件公訴事実

(一)  地理的関係

判断をすすめるに当つてまず本件公訴事実に関係のある範囲で現場の地理的関係を明らかにしておかなければならないが、司法警察職員の実況見分調書二通と当裁判所の検証調書によればその概略は次のとおりである。

大央アイスから学大正門まで<図面省略>

大央アイス店内<図面省略>

(二)  学大正門から大央アイス株式会社販売所(以下大央アイスという)に小川巡査が入るまで。

1、小川巡査と出逢つた峠越昌子はそのまま学大正門内に入ろうとしたが、すぐ後からやつてきた被告人石原に対して「あれが小川巡査である」旨を告げた。同被告人はそれまで小川巡査の顔を知らず同巡査も同被告人に面識がなかつたが、同被告人は右正門を出たところで小川巡査を呼びとめ、峠越昌子と同巡査の関係、当日の用件、同巡査の身分関係等をたずねた上、学内に同行して貰いたいといつたところ、同巡査がこれを拒否したので、一寸思案したが、折柄大西某が通りかかつたので同人と相談したところ、小川巡査には是非釈明して貰おうということになり、被告人石原及び大西の両名はすでに学大正門の北方約七〇米の位置にある玉吉大明神(稲荷さんともいう、なお、本件関係人の供述中稲荷さんとあるは右玉吉大明神を意味する。)付近を佐藤巡査と共に通行中であつた小川巡査の前に立ちこもごも釈明のため同行してほしい旨要求したが小川巡査はなおこれを拒否した。

2、かようにして被告人石原及び大西と小川巡査とが押問答をくりかえすうち、同巡査が学大附近に来ていることを知つた学大の学生あるいは当時学大における前記集合にのぞむべく学大を訪れていた大阪府学連所属の学生らが次第に同巡査のまわりにかけつけ半円形に同巡査を取り巻いて右の要求をくりかえすので、同巡査は進行もままならず家並に沿つて後ずさり気味に北方へ進むうち、店先のガラス戸が開かれていた大央アイスの店内へ被告人石原その他の学生に気押されるまま入り込んでしまつたが、その間にも学生は次ぎ次ぎと大央アイス附近に集まり、果は近所の店舖に勤める店員や通行人らのヤジ馬まで右大央アイスをのぞく仕末であつた。そして結局大央アイスの内には学生が二〇人余り詰めかけた状態となり、小川巡査は同店内東北角の机の前に押しやられ、その間学生と前記のような問答をくりかえしていた。

(三)  ところで検察官は、「ついで(被告人三名を含む)学生達は数名共同して同巡査の胸倉を掴んで小突き両腕を取り、肩を押して同巡査を同販売所前路上に引きずり出した。」旨主張する(冒頭陳述及び論告参照)のでこの点を検討する。(以下略)

(四)  次ぎに検察官は「(被告人三名を含む)学生達は小川巡査を大央アイス株式会社販売所前路上から、その両腕を取り、ズボンの両足首附近を掴み、腰を抱え後より押して同巡査を同所より約一〇〇米離れた学大天王寺分校内に引きずり込んだ。」旨主張する(冒頭陳述及び論告参照)のでこの点を検討する。(省略)

(五)  本件当日学生達が小川巡査に加えた有形力の行使(これが暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条第一項にいう暴行であるかどうかの点は後に判断する)の程度及び方法については以上のように認められるが、次に右の学生達の行為と被告人らとの関係について検討する。(省略)

(六)  (省略)

(七)  そこで本件公訴事実に関し当裁判所の判断した結果を要約すれば、

1 「被告人三名が他の学生達数名と共同して、小川巡査の胸倉を掴んで小突き両腕を取り、肩を押して同巡査を大央アイス前路上に引ずり出したこと、特にその際(イ)、被告人石原が同巡査の上衣の襟を掴んで同巡査の顎を小突きついで同巡査の左腕を抱き込んで引張り、(ロ)、被告人中辻が同巡査の右腕を抱き込んで引張り、(ハ)、被告人井上は『連れて行け、連れて行け』と申し向けて他の学生を指揮したこと」については、これを認めるに充分な証明がなく、

2 被告人三名が他の学生達数名と共同して大央アイス前路上から同所より約百米離れた学大天王寺分校内まで、小川巡査の両腕を取り、ズボンの両足首附近を掴み、腰を抱え、後より押して同巡査を引きずりこんだこと、その際(イ)、被告人石原は小川巡査の左腕を抱き込んで引張り、(ロ)、被告人中辻は同巡査の右腕を抱き込んで引張り、(ハ)、被告人井上は同巡査の右手の袖口を引張つたこと」については、「被告人石原、同井上が他の学生達数名と共同して大央アイス前路上から、同所より約二〇米はなれた『裏』米屋附近あるいはそれよりやや学大正門寄りの地点まで腰を落して足を突張り、上体を後へそらせて拒否の姿勢を示している小川巡査の右腕、左腕をひつぱりあるいはかかえ、あるいはその背中を押し、腰を後から押すように引きずる如く連行した(その間同巡査は大西に左足首を一瞬持上げられたことがあつた)が右地点より先は相当な数の学生達に取り囲まれながらも自ら歩行するに至つた同巡査に対し学大正門内に至る間その腕を左右からとつたり、肩や腕のあたりを押したり、あるいは背中を押したりしながら同巡査を同正門内へ連行した」事実のみを認めうると考えるのである。

B行為の正当性

一、ところで前記認定にかかる被告人石原、同井上の所為は全体として行為の外形上暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条にいう数人共同して暴力を加えた場合に当りその構成要件を充足するものというべきであるからその所為は外形的には一応違法の推定を受ける。

二、しかしながら行為の違法性はこれを実質的に理解し、社会共同生活の秩序と社会正義の理念に照らして、その行為が法律秩序の精神に違反するかどうかの見地から評価決定すべきものであつて、若し右行為が全体として社会共同生活の秩序と社会正義の理念に適応し法律秩序の精神に照らして是認できる限りは、仮令正当防衛、緊急避難ないしは自救行為の要件を充たさない場合であつてもなお超法規的に行為の形式的違法推定を破り犯罪の成立を阻却するものと解するのが相当である。

三、この点については、検察官もまた「本件被告人らの行為は正当行為として実質的に違法性を阻却する」との弁護人の主張に対し「刑罰法上構成要件該当行為であつて、刑法第三五条前段の法令による行為第三六条の正当防衛、第三七条の緊急避難に該当しない場合においても刑法第三五条の趣旨に照らし正当行為とせられる場合の存することはこれを認めなければならない。」とするのであるが、同時に「如何なる場合にその行為の違法性が阻却せられ、実質的に正当と認め得るかは個々の行為につき一切の情況を審かにした上その行為により達せんとした目的、その目的のための手段方法の相当性、特に当該の具体的情況に照らしその行為に出ること以外に他の手段方法がなかつたか、否か、防益を受ける法益と防衛行為によつて侵害せられる法益につきその性質、価値、侵害の程度等を具体的に比較検討の上、両者の間に権衡を失しないか否か等諸般の事情を個々の行為の情況に即しその必要とせられるものについて考慮し、法秩序全体の精神に基づいて是認せられるか否かにより決すべきであり急迫不正の侵害又は生命、身体、自由に対する現在の危難の存する場合においてさえ、之に対する防衛又は避難行為が正当防衛又は緊急避難として違法性を阻却されるためには、その行為が已むことを得ざるに出でたる等、厳密な要件の定められていることは、刑法第三六条、第三七条の規定に照らし明らかであり、しかもこれらの規定の緊急已むことを得ない場合の例外規定であることを併せ考えると、仮令その態様において正当防衛又は緊急避難に近似する場合においても急迫の侵害又は現在の危難というが如き緊急性の要件を欠く場合にこれに対し実力行動によりなされた防衛的又は避難的行為につき違法性の阻却される場合を認められるとしてもそれは極めて特殊例外の場合であつてみだりに之を認め得ないことは勿論そのための要件は正当防衛又は緊急避難の場合に比し一層厳格なものを要すると解すべきは当然であり、その行為の目的の正当性、法益権衡等の要件を具備する外特にその行為に出ることがその際における情況に照らし、緊急を要する已むを得ないものであり、他にこれに代る手段方法を見出すことが不可能若しくは著しく困難であることを要するものと解しなければならない。」と論じ、本件においては「小川巡査の行為により学問、思想の自由、大学の自治が侵害されたとは全く認められないから、被告人らがその侵害なきに抱らず同巡査を天王寺分校内に引きずり込んで不審の点を質そうとするのは、その目的において正当となす余地は全く存しないのみならず、小川巡査に暴行を動きこれを学内に引きずり込んだ行為自体をもつて、同巡査に釈明を求めるための手段方法として已むを得ない措置であつて相当であつたとは到底考えられない。蓋し小川巡査は当時公道を同僚の佐藤巡査と通行していたものであり、その時には何等法益侵害行為はなされておらず、被告人等において過日の小川巡査の峠越に対する接近が自治会活動の情報収集のためであると憶測し、これを問い質すためであつたとしても、何ら差迫つた事情があつた訳でもなく、苟も公道を通行中の同巡査に暴力を揮い、これを捕えて学園内に引きずり込む如き行為が緊急已むを得ざる行為とは云えないからである。してみれば被告人等の正当性の主張はその前提を欠くと共に行為の緊急性、相当性ないし必要性の観点から採用するに由なき議論であると云う外はない。」というのである(論告)。

四、よつて以下この点を検討する。

(一)  いわゆる平野文書によつて窺知しうる学大平野分校自治会活動把握を目的とした平野警察署警備係員らの警備情報収集

1、いうまでもなく、憲法第一三条前段はすべて国民は個人として尊重されるとし、同法第二三条は学問の自由はこれを保障するとし、またその第二一条第一項は、集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由はこれを保障すると規定し、第一九条は、思想及び良心の自由は、これを侵してはならないと定めているが、なお一九四八年一二月一〇日の第三回国際連合総会において採択された人権に関する世界宣言第一二条も「何人も自己の私事(プライバシイ)家族、家庭若しくは通信についてほしいままに干渉され、または名誉及び信用に対して攻撃を受けることはない、人はすべてこのような干渉または攻撃に対して法の保護を受ける権利を有する」といつているのである。

2、学問の自由、大学の自治に関してはすでに前記東京大学ポポロ事件等に関してそれぞれ当該事件を審理した裁判所がその見解を明らかにしており、それらはいずれもその基本的思考、方法、態度、結論においてさしたる径庭をみないものと考えられるが、当裁判所もまたこれに左祖するものであるからここにおいて再びこの点に関する判断は詳述しない。しかしながら、ともあれ学問の自由が大学の自治を内包するものであることは明らかであり、大学の自治はひとり大学における研究者の自治をいうのみならず大学当局の公認にかかる当該大学学生による自治組織の結成及びその自治活動の自由をも包摂して考えるべきものである。

3、すなわち「大学自治の原則のもとにおいて、大学は学長(又は総長)の校務管掌権限を中心としてその大学内における研究及び教育上の有形無形の諸点について教職員及び学生の真理探究又は人間育成の目標に向い一定の規則に従つて自治的活動をなすことが認められ、同時に外部の関係においては政治的又は警察的権力は治安維持等の名下に無制限に大学構内における諸事態に対して発動することは許されず、たとい客観的には警察的活動の対象となるが如き外観の事実ある場合にもそれが大学構内殊に教室や研究室内におけるものである場合には事情のゆるす限り先ず大学当局自らの監護と指導とに委ねて解決を図り同当局の処理に堪えず又は極めて不適当なものとして同当局より要請ある場合初めて警察当局が大会当局指定の学内の場所に出動するを妨げずとなすことは、わが国における大学自治の実態として公知の事実である。これはもし然らずして警察当局において警察活動の対象事実が存在する限り大学内にも随時随所に警察権を発動し得るものとすれば、大学の生命的任務たる学問及び教育の事業は実際上警察権の下に屈従を余儀なくされて到底その自由と公正との保持が不可能となるが如き場合の出現が慮れられる結果自然醸成せられた観念である。またこのことは警察比例の原則即ち社会生活の秩序維持のの障害を除去するために加える制限は、その障害の程度と適当なる比例を保つことを要するものとせられる観念にも合致するものであり、たとい警察当局よりみて大学(学生をも含む広義のもの)がわに若干警察活動の対象を以て目せられる事態がありとしても、その予防または除去のため直ちに大学の使命とする学問や教育の本務の実質を害する程度の警察活動をおよぼす如きは警察権の限界を踰越するものといわねばならず、」(前記いわゆるポポロ事件の控訴審判決)「大学の研究、講義、演習、その他学生の自治活動等すべて、学問、教育並びに学習の場としての大学の本来的職責に本質的関連を有する事柄については、第一次的には大学の自治と責任において問題が処理さるべきであつて、警備活動の名による警察権力の介入、干渉は許されないのである」し、「大学自治の原則にして侵害されるようなことがあれば、それはひいて、思想、言論、学問の自由に危害を及ぼすことにならざるを得ない。何となれば、不当な外部からの拘束により大学の自治が充分に保障されないような学内情勢乃至学問的環境の下においては、思想、言論、学問をその本来の姿で展開することがもはや望めなくなるからである。従つて大学の自治が侵害されているような学内情勢乃至学問的環境を是認することは、学問の自由を保障した憲法の条章の意図するところを没却することになる」(前記ポポロ事件の第一審判決)である。

4、従つて大学における学生の自治活動についても第一次的には当該大学当局の自治と責任において、運営管理せられるべきものであつて、何ら具体的な犯罪が生起し、若しくはそのおそれがある場合ですらないにも拘わらず、警察当局がいわゆる警備情報収集の名のもとに、大学当局をさておいて、一般的、継続的、組織的且秘密裡に、当該大学の学生を「対象」なる特殊用語を以て把握し該学生を通じて当該大学当局の公認にかかわる学生の自治組織に関してその活動状況を把握しようと活動するが如きはまず以て当該大学当局の右運営管理権限を干渉侵犯し、同時に大学の自治に対し不断の査察と監視を加えるにほかならないのであつて、その遠き目的が奈辺にあると否とにかかわらず、大学の自治従つてまた学問の自由に対し重大な脅威を与えこれを侵害するものといわなければならない。しかして本件においては、前記平野警察署警備係員の学大平野分校自治会の活動状況を把握しようとする警備情報収集活動が、一たい何の必要あつてなされたものかこれを理解するに苦しまざるをえないが、もとより証拠上これをうかがうに由なく、特に教育者の養成を当面の目標とする学大における学生の自治組織に対して右のような情報収集活動がなされていたことはたやすく看過しえないところである(若し警察当局において学大平野分校自治会の活動を把握するにつき正当な理由と必要があるのであれば、学大当局に対し公文書を以てその旨照会する等の措置に出ることが不可能とは考えられない。しかして学大当局において右照会等に対し如何なる態度をとるかはまさに該当局の自治と責任において決られるべき事柄であろう)。

5、してみれば、右平野警察署警備係員の警備情報収集活動は憲法第二三条の学問の自由を侵す違法の所為というべきことは明らかであるが、それと同時に被告人中辻その他の学生に対してなした尾行、張込の如きは、同人らの私生活の自由、平穏に干渉するもので前記人権に関する世界宣言にいうプライバシイを侵犯したものであり、且被告人中辻の当公廷における供述によれば、鍋谷英治は自らが警備警察当局より対称とされてその言動につき組織的な検討を加えられているとともに更に学大平野分校の自治会活動を把握しようとの目的に利用されていたことを知らなかつたことが認められるのであるから、右鍋谷英治個人の尊厳を破壊したものと断ぜざるをえない。

6、もつとも警察法第二条第一項は、「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。」と規定しているから右警察の責務を遂行するために警察活動が行われることは些かも違法ではないわけである。しかしながら右警察の責務として掲げられた事項の内には必ずしも具体的な内容を有せず、時の社会政治状勢との関係において解釈上如何ような内容をも盛込みうる余地のあるものがある。従つてこれが解釈は兎角恣意的に流れ、警察権力の拡張解釈のもとにその濫用を招くおそれがなくはないのである。さればこそ同法同条第二項は「警察の活動は厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、その責務の遂行に当つては、不偏不党且公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない。」と定めるのであり、前記の如き平野警察署警備係員の行為が右警察法の精神に背致し、日本国憲法を頂点とする全国家法秩序に牴触するものであることはいわずして明らかであろう。

(二)  小川巡査の峠越昌子に対する接触

検察官はこの点に関し、「小川巡査が峠越昌子に接近接触したのは、同巡査が同女と同郷であり、且つ出身校である世羅高等学校の先輩であるという考えから交際を求めたものであり、何ら学大における学生運動をスパイする目的で同女に近づいたものではなく、前記平野警察署警備係員による警備活動としての情報収集の如きは全然他人の行為であり同じく警備係の警察官なるが故に小川巡査も又同大学自治会活動の情報を得る目的を以て峠越昌子に近づいたものと推認することは邪推も甚だしく、情報を得る目的で同女に接近したとなすことは単なる憶測の域を出でないものと云わなければならない。」旨論ずるのである(論告)。

1、小川巡査の職務

小川巡査は前認定の如く昭和二四年八月一日巡査に任ぜられ、同三一年六月一日より大阪府天王寺警察署警備課警備係において公安を担当していたが、警備課の所掌事務は警備実施、これに必要な警備情報の収集その他公安の維持に必要な事項であり、特に同巡査は公安係として警備実施にともなう情報の収集を担当していた。そして同巡査が供述するところによれば右情報の収集には自ら協力者となつて情報を提供してくれる者から情報を得る場合もあれば、こちらから協力を依頼する場合もあるが協力を得なければ警察の任務を達成することはできないから、協力者には謝礼をすることもあろうと思うというのである。

2、小川巡査と学大学生東良輝の関係

学大学生東良輝は小川巡査と同じく広島県立世羅高等学校の出身であり、当時同学四回生であつたが、両者は相互に交際があり、同巡査は右東から学大新聞(一般に配布されるものではなく学生を対象とするものであつた)や、学大同窓会名簿を借り受けたりしており同巡査は東良輝に映画の券を与えたりしていた模様である。

3、小川巡査と外大学生大西宏麿との関係

大阪外国大学ロシヤ語科学生大西宏麿は昭和三四年夏頃同大学自治会執行委員長の職にあつたが、その頃兵庫県宍粟郡山崎字木谷の郷里に帰郷中、同巡査がほか一名の警察官とともに強盗事件の捜査であると称して手配写真を持参し、僧侶であつて保護司、教育委員等の職にある右大西の父及び母と雑談して去つたことがあつた。その日右大西は不在であつたが、それから数日して再度小川巡査ほか一名の警察官は手土産を持参して大西方を訪れ同人と雑談して辞去した。ところが同年九月同人において下宿へ帰宅すべく近鉄上六駅附近を通行中のところ、右小川巡査にうしろから呼びとめられ、夏休中に大西方を訪問した際は世話になつたと謝辞を受けたほか若干雑談をした上、お茶に誘われ関急会館地下食堂に入つたが、同巡査はすしとビールを注文し、映画の招待券五枚を右大西に贈与し、更に下宿住いであれば洗濯物等に困るだろうが困つたときにはうちへ持つてきたら家内にさせるからと告げた上、天王寺警察署の電話番号を教えてわかれたことがあり、また同年一一月頃学外から自転車で大学へ帰る途中、小川巡査と出会つて話しかけられ郷里の話などが出たので、明日帰郷する旨話したところ荷物を運んでやろうといわれたが、その折五、六名の外大学生が近付いてきたので、同巡査はあわてて誰にも逢つたことはいわないでおいてくれといつて立去つたことがあつた。

4、警備警察活動の組織性

いうまでもなく警察組織は国の行政組織の一環をなすものであつて統一的な組織と機構を有し、警備警察活動についても、警察庁に警備局が設置され、警備警察に関する事務を所掌しているが、前記平野文書の記載や証人辻井敬の当公廷における供述を綜合すれば、同文書中のいわゆる警備情報の収集は大阪府警察本部公安課の指揮統卒下にあり、管下各警察署は相互に連けいしながらこれを行つていたことが明らかである。

5、そこで以上の事実のもとで小川巡査が峠越昌子に接触したのが如何なる目的に基くものかを検討する。((1)乃至(5)略)

6、(1) 以上までに認定したところならびにその他本件証拠を綜合すれば、結局小川巡査は前記の如き警備警察活動の一環として、峠越昌子を通じ(すなわち「対象」として)一般的、継続的、組織的且秘密裡に学大当局の公認にかかる学大自治会の活動状況を把握すべくこれに関する情報を収集する意図のもとに(その意図が真に目的とするところは明らかでなく、もとより具体的な犯罪が生起し、若しくはそのおそれがある場合であつたとは認められない)同女に接近、接触したものと認めるほかはない。されば検察官所論のように「甚だしい邪推」あるいは「単なる憶測の域を出ないもの」とはとうてい考えられず、むしろ小川巡査の右行為は明らかに大学の自治に対する侵害行為の実行に着手したものと認められる。しかして右の点について大学当局がこれを是認していたものと認むべき証拠は全くない。

(2) それ故結果論よりすれば小川巡査の峠越昌子に対する接近接触を知つた被告人らならびに学大自治会幹部において同巡査は前記平野文書にあらわれた鍋谷英治の場合同様学大自治会活動の把握を企図し峠越昌子を対象として警備情報収集活動をしあるいはこれをしようとしているやも知れぬと疑い、右を以て大学自治に対する侵害あるいは少くともそのおそれのある行為と判断し同巡査に対し事態を明らかにするため釈明を求めようと考えるに至つたとしてもむしろ当然至極のことであつたというべきであるが、被告人らはことのはじめから上叙認定の事実すべてを知つていたものではなく、右の如く考えたのは当初認定のような経過からそうしたに過ぎないけれどもその限りにおいても右の如く考えたのはやはり相当な理由があつたということができよう。

(3) (省略)

(三)1、ところで被告人石原、同井上について認定しうる構成要件該当の事実は前述のとおりであるが、右被告人両名その他学生達が右認定の所為に及んだ動機、目的は上来説明のところ及び本件証拠を綜合して明らかな如く、小川巡査の峠越昌子に対する接近接触に関して、同巡査が学大自治会の活動状況を把握すべく大学の自治を侵害して警備情報の収集活動をし、あるいはこれをしようとしている旨疑い、事態の真相を明らかにするため同巡査に釈明を求めた上これが対策を検討、実施し、以て学問の自由、大学の自治を保全擁護しようとするにあつたのであるから、右動機及び目的は健全な社会の通念ならびに法律秩序全体の精神にかんがみ正当であると認められる。

2、しかし、検察官は更に、「小川巡査が自治会活動について何らかの情報を得る目的を以て峠越昌子に接近したものとしても、被告人らの主張する如きいわゆる学問、思想の自由、大学の自治は些かも侵害されていないのであるから、たとえ被告人らが小川巡査は自治会活動をスパイする目的で峠越昌子に近づいたものであると思い込んで本件犯行に及んだものとしても犯罪の成否には何等影響を及ぼすものではなく、被告人等の行為をもつて正当行為として違法性を阻却するものとなすをえない。」「小川巡査と峠越昌子とは一一月二日全く任意的に付合つていたにすぎず、小川巡査が同女から情報を提供せしめつつあるとか提供させようとしている如き証拠は全くなく、被告人等の言うように自治会活動の模様をスパイする如き行動は何一つ見受けられない。同巡査の峠越とのこのような程度の付合によつて学問、思想の自由、大学の自治が侵害され、脅威を受けたとするのは全く詭弁と云う外はない。」と論じ、また「公道上を通行中の小川巡査に対して釈明を求める如きはたとえその目的が正当なものであつたとしても何ら緊急性を具えていない。」と主張する。

3、そこで右の点を以下順次考察する。

まず本件小川巡査の峠越昌子に対する接近、接触は前記平野文書にもみられるような学大自治会の活動状況把握のための情報収集を目的意図するもので、それが学問の自由、大学の自治を侵害するものであるとともに情を知らない峠越昌子個人の尊厳を侵すものというべきこと、すでに説明したところから明らかであつて結局右の接近接触は憲法第二三条第一三条前段を侵犯する行為の実行着手に当るというべく、しかして右峠越昌子に対して小川巡査が前認定の如く学大自治会に関する若干の質問をして返答を得ている以上前記の目的意図はもはや客観的にも明瞭に認識される状態に立至つていたものといわざるをえない。更に右の如く着手された小川巡査の大学の自治等に対する侵害行為はその後本件当日同巡査が自らすすんで峠越昌子に話しかけわざわざ同女と並びひきかえしながらも話そうと試みたことによつてうかがいうる如く積極的な姿勢をもつて持続されていたことは明らかである。かように小川巡査の峠越昌子に対する接近接触は昭和三四年八月八日から同年一一月一三日までにわたつているわけであつて、この間のうちに前記情報収集の意図が放棄されたと認むべき証拠は全くない。

4、思うに憲法は国家法秩序の基本である。それ故憲法秩序の侵害に対する防衛は常に急を要するものといわねばならない。大学の自治を含めておよそ自由が侵害されんとするとき、これに対抗する最も効果的な手段は侵害以前にこれを予防するための措置を尽す以外にないが、若し不幸にしてその侵害が開始されそれが行われつつあるからには、できるだけすみやかにその侵害を阻止し排除するに適切な手段をとるのでなければその保全は全うされ難い。憲法第一二条前段が「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」と規定することの意味もここに存するものと解すべく、これを要するに学問の自由、その他憲法上の自由及び権利に対する侵害の排除は常に要急の事であつて、急を要しない防衛ということは考える余地がない。しかもおよそ自由に対する侵害はそれが秘密裡に行われるとき最も危険でありその被害は甚大である。蓋し侵害された自由は将来に向つては兎も角、すでに侵されてしまつた以上これを完全に回復することは不可能に近いからこの意味において自由侵害に対する防衛はなかんづく急を要するものというべく更に前記の如く自由は本来それに対する侵害を排除することによつてのみこれを維持することが可能であるにかかわらず、秘密裡に行われる自由の侵害に対して防衛の方途を講ずることは著しく困難であるが故にできる。

5、以上の考察を前提として本件を考えるに、いわゆる超法規的違法阻却の要件と緊急性との関係についての論議はしばらくおくとするも、被告人石原、同井上を含む学大の学生らは、一一月一三日の当日、学大構内よりたまたま出て来た小川巡査が学大正門のそと約五米の位置において峠越昌子に話しかけたことを間もなく知つたのであり、しかも右小川巡査が立去るのを学生達が制止したのは近々右正門と市電の走る道路とを結んで学大にほぼ直角に走るいわば登校用道路上を右正門から約七〇米北寄の地点においてであつた。その上当日は折しも寮問題等を議題とし、更に学大池田分校自治会の緊急提案として小川巡査と峠越昌子の接触問題をとりあげるべく予定した学大三分校合同の学生集会を開くことになつていたのであるから、かような時期において学生達が右小川巡査に対し来席の上峠越昌子との接触について釈明することを要求するのはまことにもつともなそして時宜を得た措置であり大学自治の問題が大学当局にとつてのみならず学生全般にとつてゆるがせにしえない問題であることを思えば、右当日その時、その場所において小川巡査を制止し、来席した上での釈明を求めることの緊急性はこれを肯認するに難くない。若しそれ学生達が、後刻荏再として小川巡査に抗議し、あるいは峠越昌子と同巡査を対決せしめようとし、あるいはまた小川巡査に学生集会へ出席釈明することを要求し、学校当局を通じて警察当局に抗議すること等によつては被告人石原、同井上を含む学生達の前記目的を充分に達しえないであろうことはいうまでもなく明らかであり、(そればかりでなく、その間あるいはそれ以後も前記の如き違法な警備情報の収集活動が更に潜在化して続けられてゆくおそれすらなくはない)前認定の如き小川巡査の当公廷における供述の内容態度、ないしは証人辻井敬の当公廷における供述、特に後者が前記いわゆる平野文書に関して、公務上知りえた秘密に属するとしてその内容に関する証言を拒否し、その根拠として、同文書の内容記載のような事柄は一般に公務上の秘密とし取扱われていると述べたこと、あるいはいわゆるポポロ事件以来本件に至るまで依然として大学に対するいわゆる警備情報収集のための活動が秘密裡に続けられていたことに徴しても疑いがない。それのみならず、警備警察等の職務に従事し、国民の権利、自由とたえず密接に接触する警察官は、ともすればその侵害が喋々される世情のもとにおいて、いやしくも憲法が保障する国民の権利自由を侵害したとの疑いをかけられるおそれのある行為をつつしむべきは勿論、あらぬ疑いをかけられた場合においても、その疑いの生じた所由をかえりみるとともに、右疑いの由つて来るところを究明し、かく疑われるについて相当な理由があると判断されるときは、むしろ進んでその誤解を解き、釈明を求められればこれに応ずる義務があるものと解せられ、このことは憲法第九九条警察法第三条第二条第二項の精神ないしは公務員倫理の上からも当然といわなければならない。

6、また検察官は、小川巡査を「公道上」において云々と、あたかも同巡査が一般公道上を学大と全く無関係に通行中学生達が実力を加えてこれを引きとめ、いわゆる暴行をなしたように主張するのであるが私服の同巡査は学大内から出てきたところを現認されているのであるから、峠越昌子から小川巡査である旨告げられた被告人石原、同井上はじめ学生達が、本件証拠上明らかなとおり、当日も情報収集のために学大を訪れたものと考え「何の用で来たのか」「峠越に交際を求めるのは何故か」等々口々に同巡査の釈明を求めるに至つたとしてもそれは極めて自然の経過であり、公道通行中突如として被告人石原、井上らが行動したように主張するのは、被告人らの行為の動機には諒とすべきものがあることを認めながら白昼警察官に対する行為としては極めて行き過ぎであつていくらも他にとるべき方法があり、右被告人らの行為に緊急性が認められないことを主張せんがための誇張とも解せられるし、そもそも大学の自治、学問の自由に対する侵害は必ずしも大学構内において行われるとは限らず、従つてこれに対する防衛行為が大学構内においてしかゆるされないという理由に乏しいばかりでなく本件における場所的時間的関係はすでに説明した如くであつてこれを大学構内と特に区別する要をみないと解される。

(四)1、ところで被告人石原、同井上の前記認定にかかる所為はなるほど法律上は暴行といいながら、その主要な点は小川巡査の両腕を双方からとらえ、後から押して約二〇米余り正門に向つてひきずるように連れて行つたということにあるのであつて、かの殴打等とは全くその選を異にし、その時間も僅々秒を以て算する程の間にすぎず、大央アイス前路上から学大正門までの全距離について考えてみてもそれはせいぜい一〇〇米足らず、時間にして約一分である。そして右の点とともに上来説明の如き本件被告人石原、同井上が右の暴行を加えた目的、小川巡査の峠越昌子に接近接触した目的の違法性その他の事情、更には小川巡査が学生達から釈明を求められた際も単に「やましくない。」とか「行く必要はない。」等というばかりでたとえその場ででも適切な説明と応待をしたとは認められないこと、学生達のこの問題についての関心が極めて深く、当日も学大三分校合同の学生集会があつてその席上これを取り上げ検討する予定であつたこと、小川巡査が峠越昌子を八月八日及び一一月二日に訪ねた際はいずれも勤務時間中であり、特に後者には、二時間余も共に飲食し上司にもその旨ことわる措置に出ているのと対比すれば本件当日の同巡査の態度は衡平を失していること等を考えるとき、学大内の学生集会に来席して釈明することを求めるについて同巡査が頭からこれに応じず、そして学生達にとつて直ちにこれを求める必要とその理由のあつたこと前説明のとおりであつてみれば、同巡査の腕をとらえて体の後を押し連行することも蓋し止むをえないことといわざるをえず、また同巡査がなおもこれを拒否し、その姿勢をとつて歩行しなければ、自然ひきずられる恰好となることも致し方のない道理である。されば結局前記の如き小川巡査に対する暴行は、前記被告人石原、同井上その他学生達の動機目的に比し、相当であつてやむをえない限度をこえていないものと解せられる。

そして同時に法益の権衡を考えてみても、右被告人両名の暴行によつて生じた法益の侵害は、つまるところ小川巡査個人の行動の自由が僅かな距離と時間において制約され、精神的には些か不愉快と畏怖ないしは不安緊張の念を生じた程度にすぎないものと認められ、それすら同巡査がその職務とはいい条、大学の自治を侵害する行為に着手してこれを現に実行中であり、学生達に対しても、その旨の危虞を抱かせたにかかわらずこれに適切な釈明応待をなさなかつたことによつて、自ら招いたものといわざるをえず、かかる同巡査の個人的具体的な法益に対する侵害の内容程度を峠越昌子個人の尊厳を侵すとともに、大学の自治、学問の自由を侵し、国家法秩序の基礎をむしばみつつこれに危害と脅威をもたらすという同巡査の侵害行為の内容程度と対比し、他方右それぞれの侵害を排除することによつて保全されうるであろう法益の大小を比すれば、後者すなわち本件被告人石原、同井上ら学生が保全擁護しようと目した学問の自由に関する法益が優越することは多言を要しない。

2、なお、被告人井上は学大の学生ではなかつたけれども大学の自治、学問の自由の問題は凡そ大学学生であれば何人にとつても重要な問題であるから当該問題となつた大学の学生でないが故に前段説明のような防衛を意図しこれをなすことができないといいえないこと勿論である。

(五) これを要するに被告人石原、同井上の前示構成要件該当の所為は、その動機目的において正当であり、その手段方法において相当であるとともにやむをえない限度を越えず、同時に法益の権衡を失しておらず、なおいわゆる緊急性の点を考えてみてもこれを肯認すべきものであるほか、本件の全体を通じて観察するもわが国における社会共同生活の秩序と社会正義の理念に照らし毫ももとるところはなく、これを是認すべきものと考えられる。思うにわれわれは世界の歴史の中から学問の自由を含む市民の自由と権利が如何に長い期間と多くの努力と犠牲の上に与えられ獲得されてきたものであるかを知ることができるとともに、わが日本の歴史の中にもある時期においてわれわれ自身の自由と権利、とくに学問、思想の自由がいわゆる官憲の手によつて実質的に圧迫されはく奪されていたかを如実に想起することができる。まことに、日本国憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪え、現在及び将来の国民に対し侵すことのできない永久の権利として信託されたものである(憲法第九七条)ことを忘れてはならない。

第四、結論

以上の次第であるから、結局被告人中辻については本件公訴事実に関する犯罪の証明が充分でないものとし、被告人石原、同井上については各前示所為に関し超法規的に違法性が阻却されるものと認めいずれも罪とならないものとし、各刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 網田覚一 西田篤行 仙田富士夫)

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